泉州合気道協会会長の
本田土洲先生が
1月14日の正午過ぎに逝去された。
本田先生には本当に暖かく接していただいた。
5月におこなわれた本田先生七段の昇段祝いパーティの席上で海外遠征に誘って頂いたのが、
親しいお付き合いの始まりとなった。
その言葉どおり、その年の11月にポルトガル遠征、翌年の2009年ウズベキスタン、2010年フランスとあちこちの遠征に誘って頂き、先生と合気道が世界の各地で広がっていることを見せていただいた。そして行く先々で人と人の縁をつくり合気道発展の種を蒔いておられた。
お共した国々で、若き合気道家を育てていつも励ましておられた。日本にも彼らを招き、国際交流にも努めておられた長年の功労で国賓として招かれる立場の人であった。
私は幸運にも本田先生と出会って、ヨーロッパや中央アジアの観光で楽しませて頂き、いろいろと合気道以外にも学ばせて頂くことができた。
また、先生にはわが会の行事に度々来ていただき、いつも応援して下さっていた。
泉州合気道協会の行事にも必ずお誘いを頂き、研修会・演武会のみならず忘年会や新年の鏡開きにも参加させて頂いていた。
多くの交流をさせていただくなか、本田先生の紹介で引き合わせて頂いた方々の顔が浮かんでくる。
亡くなられる2週間程前、病床にお伺いすることができた。
「うまくいっている?稽古は?」と、私や私の会のことを小さいがはっきり聞こえる声で尋ねてくれたことを、
私は生涯忘れることができないだろう。
またすぐ新年のご挨拶に伺うつもりであった。別れ際に手を握り合って
「また、会いに来ます。」と約束しながら、年が明けてからは面会できる状況ではなくなってしまった。
1月4日に岸和田まで走ったが、道すがら付き添いの方から先生の様態の連絡を頂き、面会をあきらめて泉州の海を眺めて帰ってきた。
若き日、単身でポルトガルに渡り、合気道を広めてこられた本田先生。
当時合気道が日本でも殆ど知られていなかったような時代に、その武道を外国で広め礎を創ってこられた。
合気道を愛し、そして何より合気道を求める人が好きだった本田先生の姿に私は尊敬の念を禁じ得なかった。
指導者が持つべき襟度を持っておられた。
その早すぎる死を悼む。